国母を叩けるやつは間違いなくレイシスト

正直にいって、個性とか、国を背負うとか、そういうことセリフを聞くと冷静では無い自分がいる。無自覚なセリフによって、アイデンティティをひどく犯されているような気分になるからだ。

はじめに言っておくと自分の母方の祖父は生粋のアイヌ人だ。それも和人がいなければ広大な北海道の平野を、人の土地を踏むことなく裸馬に乗って駆け抜けることができたような首長の家に生まれた人だ。まぁ和人がいなければ今の自分もいないので、その話はいい。

バンクーバーオリンピックの開会式を見て、カナダという国は本当に器が大きいのだなと感じた。先住民族がいて、積極的に移民を受け入れて、歴史的な経緯はともかく、いまそこに共存がある。少なくともそれを目指しているのだという開会式だと感じた。

国とひとくちに言っても、領土を指したり、国民を指したり、その文化を指したりと様々なケースがあると思う。しかし日本人はそのことにあまりに無自覚に「国」という言葉を使う。そして、同じ「国」に属することが当たり前だと考える。

その中にある、民族的多様性や文化的多様性には目もくれない。いやむしろそれを排斥しようと「国」という単語を使う。

「オリンピックの代表選手は日本の代表なんだから」

だからどうした。例え国母が阿呆みたいな格好をしてようとしてまいと、あいつはあいつ、てめーはてめーだろ。「日本人ってみんなだらしないんでしょ」ってアメリカ人に言われたら「アメリカ人ってみんなアホみたいな血みどろの映画好きなんだろ」って言い返せ。

日本の中にだって、いくつかの民族があり、文化的な違いはもっとある。スノボにはスノボの文化があるだろうよ。

それを、一緒なのが当たりまえと、制服なんだからとか、代表選手なんだからとか、なんだかんだと理由をつけては違うやつをぶったたく。「みんなちがって、みんないい」んじゃないの?いいじゃねーか格好ぐらいでうだうだ言いやがって。うだうだ言うやつは日本の中にもいくつも文化や民族があることを絶対理解していない。間違いなくレイシストってのはそういう事だ。言外にアイヌ琉球民族も、それぞれのスポーツや独自の文化がある全ての活動を殺そうとしている殺人者だ。

ぼくの考えた「日本の文化」にそぐわないヤツには何をしてもいいぐらいに思っていることは間違いない。他の文化への尊敬や尊重は微塵も無い。昨今のオリンピックが表現しようとしていることとは対極だ。そう考えるような輩をどう扱うかによって、日本という国の器の大きさも知れてくる。


参考サイト
http://ameblo.jp/tokumoto/entry-10459454719.html
http://hidetan.at.webry.info/201002/article_8.html
http://www.taro.org/2010/02/post-716.php